「世界を正しく見る」というテーマでブログを続けよう。
前回、「人間には偏見や先入観に囚われがちな性質がある」というベーコンの説に触れたが、今日はそれを整理してみよう。これは「哲学と宗教全史(出口治明著)」314ページを参考に書くので、詳しく知りたい人はぜひそちらを読んでほしい。
まず四つのイドラとは「種族のイドラ」「洞窟のイドラ」「市場のイドラ」「劇場のイドラ」のこと。
「種族のイドラ」は、人間が本来、自然の性向として持っている偏ったものの見方で、対象を自分の都合の良い方に考えたくなることだ。前回触れた血液型や干支・星座の運勢などは、自分が納得できることだけ受け止め「全くそうだな」と思うことが多い気がする。要するに嫌なこと都合の悪いことは過小評価し、楽しいことうれしいことなどは過大評価する。例えば私は蠍(さそり)座なのでものごとを深いところまで掘り下げて考えがあると思い込んでいる。これがそれに当たると言える。でも、その思い込みが私の学び続けるエネルギーになっている気もする。本には「現代の学問では、これは脳の持つ特性の一つだと考えられています。」と書いてあるので、これはある意味自然なことで、落ち着いて良い方向に活かせるのであれば良いのかもしれない。むしろ逆に嫌なことを過大評価するようだと、自分を苦しい方に追い詰めたり、他人を恨んで犯罪に繋がったりする方が怖い。
「洞窟のイドラ」は、狭い洞窟から外界をのぞき見るように、限られた自分の経験から狭い視野で物事をゆがんで見てしまうようなことを指す。「井の中の蛙」という言葉が当てはまる。例えば幼少期の悲惨な体験からものごとを悲観的にしか見られないことや、社会的経験が少なくて自分を中心とした価値判断しかできないといった例が当てはまる。詰め込み教育時代、ひたすら机に向かい有名大学を出て立派な会社に就職したのに、社会的経験がほとんどないために人と関われず精神的病に陥る若者がいたことを思い出す。プラトンの「国家論」を読んだ時、洞窟の壁に映された松明の前を通る影を見て理解することが間違った社会を作るという内容があったがまさにこのことだろう。洞窟の外へ出て、眩しい光の中で本当の世界を見ることを恐れている人間の弱さを語っているのだ。これはまさに今回のブログの「世界を正しく見る」に直結するだろう。(続く)