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研究を通して「自分とは何か」と見つめ続ける

 10月5日にふれた「農的な生活がおもしろい」(牧野篤著)のなかで強く印象に残ったところがある。著者が、民間から国立大学の研究所の職員として移った時、ラフな格好でいたところ、年配の先生から「君は文部教官たる自覚はあるのかね?」と言われたというのだ。聞き返したら、繰り返し聞かれ、「はあ、文部教官であることは知っていますが、その『たる自覚』ってなんですか?」と聞き返したらえらく叱られたというのだ。どうも服装のことだったようだ。

 私もはじめに附属の職員になった時は、まだ国立大学だったので、「教官」と呼ばれ、何か選ばれし者というようなプライドがあったように思う。服装や勤務態度は先輩から指導されて気をつけてはいたが、「たる自覚」の一番は授業研究における専門性だったと思う。厳しく問い合った研究のことはまた後日触れるが、先ほどの年配の先生の言葉は、ステイタス(社会的地位)やプライド(自尊心)の要素が強かったのだろう。もちろんそれらも人生にとって、よりレベルの上の段階を目指す基本的なエネルギ源ではあろうが、気をつけないと、いつかふれた「駒感覚」で部下や仲間、生徒を見てしまい、「あいつはわかっていない」「別な世界の人間だ」などと言ってしまうことにつながる。まあ、他人ごとではなく、私もそんなことを言われた時があったらしいが。それは私は最も嫌うところだ。

 やはり大事なのは、「自分とは何か」とアイデンティティを見つめ続けることだと思う。人生を貫く要素は何なのだろう。自分が今いる場所の雰囲気にハマって、「斯くあるべし」と形で判断し、自分の世界を求めなくなるのではまずい。附属の研究は厳しかったが、音楽の授業や集会で本当に素晴らしい子たちの姿にたくさん触れることができ、3年目で去るのが惜しくなり、副校長先生に「もしその方が都合が良いなら、残ってもいいですが」と聞いたことがある。今考えると、ほとんど人事の決まった頃にも関わらず馬鹿なことを言ったものだ。ただ、その附属を愛する気持ちはどこかで天に通じたのか、副校長として再び附属に勤めることになったが。